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前田一歩園財団について
Maeda Ippoen Foundation Profile

前田正次(まえだしょうじ)


前田正次(二代目園主)
1887(明治20)~1957(昭和32)年

(生い立ち)
 初代園主前田正名の6人兄弟の次男として明治20年(1887)、東京に生まれる。

(長い海外生活)
 早稲田大学では競艇部で活躍し、卒業後は、三井に入社し長崎で勤務したが、身体が虚弱であったことから、「海外で勉強して来い」という父正名の考えもあり、大正元年(1912)、アメリカへ遊学。以後、通算、約20年にわたるアメリカ、ヨーロッパでの海外生活を送る。
 昭和11年(1936)、49歳の時に、光子と結婚。

(園主として)
 昭和13年、前田一歩園2代目園主となり、光子とともに、父正名の遺志を受け継ぎ、阿寒湖の自然を守ることに心血を注ぐとともに、阿寒湖温泉を世間に恥じない観光地として発展させるため力を注いだ。中でも、周囲の反対を押し切り、阿寒湖のホテル建設や住民に安く木材を供給するための(株)阿寒一歩園製材所を設立した。
昭和17年、過去の伐採により貧弱となっていた森林を回復させるため、森林調査をもとに独自の施業案の「前田一歩園山林施業基」を編成した。

(口癖)
 「親父が阿寒の原始美を残そうと決めたのだから、これは、おれたちが手をつけないで、チャンと残していかないと前田家の墓にいれてもらえないぞ」が口癖だった。父正名を心から尊敬をしていた。